信じられない・・・

3月11日・・・この日世界の誰もが信じられない出来事が起こった・・・。

午後2時半過ぎに、こども園に通う長男を迎えに行った。

 

いつもと変わらず、こども園にお迎えに来てるママ友達と話しをしてたら、園内放送が流れた。
「地震到達まで30秒前・・・」    一瞬、避難訓練なのかと思って特に心の準備もせずにいた。
「地震到達まで5・4・3・2・1・・・」と同時に目が回るようなフワフワした感覚になった。
そう、ここ豊田市に震度4の地震がやってきた。園舎に居た子供達の中には泣き叫ぶ子もいた。
その時はまだ、同じ日本に起こってる状況を想像できずにいた。

豊田市は震度どれくらいだったんだろ・・・って自宅に戻ってテレビをつけたら・・・目を疑った!!!
「何これ?!うそ・・・」 映画で見るような光景に信じられない・・・ただそれだけだった。


実はアチャコも大きな地震を体験してる。
そう『阪神・淡路大震災』!!!  当時高校3年生だったアチャコは兵庫県西宮市の高校の寮に入ってた。
まだ当時明石海峡大橋が出来てなかったので島から本土に行く方法が船しかなかった。
1月15・16日に実家の淡路島に帰省して家族と楽しい休日を過ごした。
そして忘れもしない1月17日・・・早朝、父が西宮まで送ってくれると言ってくれた。
6時前には実家を出発する予定で父は寒い中、車のエンジンをかけに外に出た。
アチャコはまた高校の寮に戻るために荷物をまとめ、その後洗面所で歯磨きをしてた。

朝から、おとなしい飼い犬がよく吠える。けど、何にも気にしなかった。 後で思えば飼い犬が地震に気がついてたのかもしれない・・・。
顔を洗って鏡を見た瞬間に『ドーーーーン!!!』と下から突き飛ばされた。その後、座るよりも洗面所にもたれかかってた。何とか自分の体勢を保とうとした。鏡に映ってた半分宙に浮いてる自分の姿は今でもはっきり覚えてる・・・。強い揺れが止まると足の力が抜けて這って家族が大丈夫なのか確認に行った。その時、アチャコは地震だと思ってなかった。自宅でガス爆発でも起きたのかと思ってた。
すぐにテレビをつけて地震だと知った。けど、「震度7」を見た時に信じられなかった・・・。

父は屋根瓦のホコリを浴びて自宅に入ってきた。
その後も震度3・4の揺れが続いた。余震が来る時は地面から「ゴーーーー…」と地鳴りがしてやってくる前に余震が来たと分かった。そして、電話が通じなくなった・・・。
電気は大丈夫だったので各地の被害状況は報道で把握できた。
そこで見たのは有り得ない光景だった。阪神高速道路がぐにゃぐにゃになって横倒れしてた。
バスが倒壊した高速道路の上で宙ぶらりんになってた。それを見た時ゾッとした。
もし、地震が1時間遅く来てたらアチャコは父と一緒にあの高速道路の上にいた。

そして数時間後・・・神戸の灘区が真っ赤な町になった。大火災になってたくさんの人が命をおとした。淡路島は田舎だから、隣近所の付き合いは十分出来てた。誰が住んでるのか、何人生活してるのかなど・・・。だから、みんな助け合ってすぐに救助できた。
都会生活では近所付き合いっていうのがなかなか難しい・・・。救助出来なかった1つの原因・・・。

テレビで『〇〇高校の生徒へ・・・』と学校の状況が知らされた。アチャコが通ってた高校はグランドが液状化して学校や寮にも被害が出た。 当分、休校になった・・・。
数日してアチャコは安否を知らせるために西宮の高校に行くことにした。
父の携帯電話と食糧をリュックに詰めて自転車で行くのに甲子園フェリーに乗った。

フェリーの中で色んなことを考えてた。友達や仲間はどうなってるんだろ・・・って・・・。
フェリーが到着して自転車で出発。でも・・・道がない・・・。アスフェルトの地面はグチャグチャで通れない。信号も止まってる。すごく心配になった・・・。学校までたどりつくのか、何時間かかるのか・・・。
早く到着したい気持ちで緊急車両や救援物資車輛の後ろを自転車でついて行った。
何時間自転車に乗ってたのか・・・はっきり覚えていないが無事に高校に到着した。

アチャコが淡路島に帰省してたことを知ってた友人は、アチャコの安否を気にしてくれてた。
死んでるんじゃないか・・・と思われてた。
寮は大きな亀裂が入ってアチャコが生活してた401号室はドアが開かなかったらしい。
同じ部屋にいた後輩は地震の時、割れたコップを踏んで足を切ったらしい。固定されてた2つのベッドは真ん中まで移動して室内はぐちゃぐちゃだった。

同じ学校に通う生徒、明るく元気だった先生が亡くなった・・・。
帰り道はもっと辛かった。地震の状況を目の当たりにして真っ暗な道を自転車で帰った。
途中自分がどこにいるのか分からなくて実家に電話をしたのを覚えてる。
フェリーの中でこれからどうなるんだろうなぁ~って色々考えた。

淡路島は幸い四国から物資がすぐに届いたために食糧などほとんど足りないモノはなかった。
だから生活は困らなかった。
けど、町は大きく変わった。

アチャコの実家は家の前の道路を緊急車両が通れるように拡大することになり埋め立て地に移動することになった。
あれから数年・・・神戸も淡路島もみんな復興のために頑張った。

あの時のことはこの先も忘れることはないだろう・・・。

今回の地震は世界を驚かせた。

アチャコ達が出来ることって何だろう・・・。
新聞やニュースを見てるとホントに辛くなる。家族との再会を見て涙が出た・・・。

自動車や飛行機がおもちゃのように津波に転がされて瓦礫に埋もれてる。

 

瓦礫の中、呆然としてる被災者のみんなにどんな言葉をかければいいんだろ・・・。

同じ日本で起こってると思えない。
海外で活躍してるスポーツ選手達も被災者のみんなにメッセージを送った。

1人でも多くの生存者が出てくることを祈るしかない。
明日からまた真冬の寒さがやってくるからなるべく早く食糧・水・毛布などの物資を届けてあげてほしい!!!

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